さて………
僕はかねて不思議に思ってきたのですが、事実上、就職懇談会の開催運営を同窓会に丸投げしているフランス語学科が、同窓会組織の一連の気持ち悪さをご存知なのか。知りながら、この状況を放置しているのか。
以前、学科の教授たちと面談した際に
「同窓会は学科とは別組織だし、学科としては同窓会活動から極力距離を置くようにしている」
とのコメントを伺いました。
そうなるに至った理由を僕も詮索はしなかったのですが、考えてみれば随分直截なものの言い方だなと思えましたし、ご本尊のフランス語学科にここまで言われてしまう、文字通り距離を置かれてしまっているフランス語学科同窓会というのもなかなかに凄まじい気がします。
しかし、まさにこの就職懇談会のように、学科と同窓会が一体とみなされる共催イベントで、学生たちを預かっている学科の先生方が
「いや、我々は同窓会とは別組織ですからカンケーありません」
と肩をすくめてみせるだけで済まされるのか、言葉を選ばずにいえば、そんな言い逃れがいつまでも通用するものなのか。
当今、学校生活にいちいち親御さんが介入してくる、いわゆるモンスター・ペアレントが大学にも及んでいると耳にしています。上智大学ではありませんが、ある大学の教授が、出欠や考査を考慮すればどう見ても落第なので、4年生の学生に単位を与えなかったところ、春休みになって親が押し掛けてきて、単位をよこせ卒業させろ!就職が決まっている息子の人生を無茶苦茶にするつもりか!と無茶苦茶な理屈で凄んできたという話さえ聞いたことがあります。
僕の世代から見れば想像もつかないほどややこしくなってしまったこの世の中で、フランス語学科はどんな風に学生のケアーを行っているのか、学生の側から見た時に、いささか心許ないのではないかと気になりました。
先生方が学生の就職への関心が薄いのは、もしかすれば先生方の本音としては、就職活動に勤しむよりも、ひとりでも多く大学に残って学術研究を続けてほしい、自分たちの研究の後を継いで欲しいという想いも少なからずあるものと僕は想像しました。
学部は4年間しかなく、しかも外国語学部では最初の2年間は語学の基礎を習得する為に殆どの時間を費やすわけですから、本当に研究をするのであれば、もっと時間をかけて大学に残るのが正しい道、という考え方は否定されるべきではないでしょう。
僕自身の体験として、在学中に学部の教材開発プロジェクトをお手伝いした時、関係者を集めたプレゼンに陪席したところ、発表者の教授が
「ここにいるミズノ君も就職してしまいますし」
と口にしたところ、周囲の先生方から失笑が漏れ、「就職してしまう」のは学者の世界から見れば落伍して嘲笑されることだったんだと悟らされたものでした。
そういう思考を前提にした時、残業代も出ない職場で、講義やゼミ、自身の学術研究に追われている教授たちが、“脱藩者”のケアーになど時間をかけたくない、という気持ちになってもおかしくないんじゃないか、と僕は思いました………
「いや、昔の先生ならともかく、自分たちの世代では、社会に出る学生に対して劣等感を抱くことはあっても、落伍者だなんて思わない。社会に出られず研究に籠っている自分たちのほうがよほど落伍者だろう」
ある大学で教員をしている知り合いにこの話をしてみたところ、しかし、この知人の見立ては僕の想像とは違うものでした。
「大学も少子化でどこも生き残りがかかっているご時世。学生の卒業後の進路まで含めた面倒見の良さが大学なり学科の評価につながる」
「一方で、ミズノ君の言うとおり、教員に時間がないのも事実で、本来の授業や研究以外にも、年々いろいろな仕事を押しつけられるようになっている」
「学生の就職支援をしようにも、就職したことのない自分たち教員にはノウハウも人脈もない。だから、同窓会のような組織が肩代わりしてくれるというのならば、教授たちにとってありがたい申し出だったのではないか。自分の勤め先では、教員は誰も学生の就職まで世話しないから」
「意地の悪い言い方をすれば、同窓会はそこに付け込む隙があったということではないだろうか。学科の“錦の御旗”を掲げて同窓会の実績がつくれるのだから。自分たちにノウハウや人脈があろうとなかろうと、懇談会の内容がどんなものになろうとね」
この知人の見解は実に正鵠を射ているように思え、又、僕ひとりの勝手な思い込みと憶測で自分の眺める景色を塗りつぶしてはいけない、人の話は聞くものだと自戒もしました。
ともあれ、フランス語学科にとっては厄介事が自分たちの手から離れてくれてハッピー、フランス語学科同窓会にとっては学科公認の共催イベントで自分たちの存在理由をアピールできてハッピーという、お互いに異なる思惑で奇妙に利害が一致しているということなのかもしれません。なればこそ、「極力距離を置くようにしている」相手であっても、就職懇談会は例年の共催イベントとして成立してしまうのではないでしょうか。
それで、学科と同窓会はめでたしめでたしなのかも知れませんが、最も重要な当事者であるはずの在学生たちにとって、果たして今の状況はハッピーなのか。
就職懇談会の運営について、講師役卒業生の集め方が杜撰で拙劣だとか、接遇が社会通念からかけ離れて無礼だといったことは、僕を含めた卒業生側が感じるいわば主観的な印象であって、同窓会には同窓会の主観があることだと思います。たとえそれがどんなに周囲に違和感を与える流儀であろうと。
そして、その違和感なるものは、風間烈・上智大学フランス語学科同窓会会長が、代理人の池田昭弁護士(第二東京弁護士会所属、弁護士登録番号15626、池田法律事務所、〒150-0002 東京都渋谷区渋谷1-8-6 宮益坂STビル9階、Tel: 03-3406-4947、Fax: 03-3406-4948)を通じて繰り返しのたまった「見解の相違」なる言葉で片付けられてしまうことなのかもしれません。
その一方で、これからまさに就職活動を始めようとしている、主役である学生の主観で周囲を見渡した時に映る景色はどのようなものでしょうか。
就職懇談会があるという話が伝わってきても、式次第もアジェンダもありませんから、何の情報もインプットされません。いったい何をやるのか、どんな話ができるのかは一切謎のままということになります。そして、開催案内に前回の講師役の勤務先が書かれていても、どうして今回の講師役は教えてくれないんだろうという別の謎が浮上してしまう気がしますが、主催者はそこまで頭が回っているのかどうか。
そして、謎だらけであっても、それでも学生が就職懇談会に参加してみたとして、主催者は、卒業生を講師役と位置づけておきながら、実際には何を講ずるべきかを事前に一切伝えていませんから、講師も学生も何の準備もすることができません。お互いの知りたいこと伝えたいことを何も用意できないまま、いきなりその場でポンと会わされるだけで、あとは自由に話してくださいと主催者に促されるだけ。
これで一体、学生本人に何が身につくのでしょうか。
上智大学外国語学部フランス語学科に入学したら、初日の教室にフランス人が座っていて
「これから会話の授業です!さあ!ネイティブと会話してください!」
と教授に迫られたとしたならば、フランス語を全く知らない学生が会話を成り立たせ、かつ語学力を上達させるのはきわめて困難、というよりも土台無理な話ではないでしょうか。
それでフランス人と会話したというアリバイをつくることは出来たとしても、最低限の語彙、話法、文化的背景といったものを予め身につけていなければ、語学の知識を深めて会話のスキルを磨くために得られるものはきわめて少ない、得られたとしてもそれは余りにも非効率だということは、外国語学部の関係者でなくとも想像がつく話ではないでしょうか。
そして、例年行われている就職懇談会というのは、実はそれと同じことをしているのではないかと、僕には思えてしまうのですが。
もしも、この催しの目的が学生の就職支援ではなく、
「有名企業の男子とお話ししたーいっ!お友達になりたーいっ!」
といった合コンまがいのマッチング・イベントなのだと仮定してみると、主催者が参加者を会場内に放し飼いにするだけ、あとのことは自己責任でやってくださいフォローはしません、という姿勢は、実はスンナリ理解できることなのかもしれません。
そして、合コンを仕切ってくれてありがとうと参加者から感謝されることはあっても、仲立ちした同窓会のほうからお礼を言う筋合いなどない、「問題は存在しない」、という論理も成り立ってしまうのかもしれません。
ただし、その場合には、同窓会が「一番重要なイベント」と位置づける就職懇談会が実は合コンだったという、いささか刺激的なオチになりますが。